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社会科 歴史(ハロ歴) No.26 イスラムの世界の形成と発展 ■ |
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1.イスラム教の誕生とイスラム帝国 |
大部分が砂漠におおわれているアラビア半島に 住むアラブ人は、古くから遊牧やオアシスを中心 とした農業とグループでラクダや馬を使って長距 離交易を行う隊商による生活を行っていた。
6世紀後半に、イラン高原のササン朝と東地中 海周辺のビザンツ帝国(東ローマ帝国の別称)の 間で戦争が続くようになると、シルクロードの経路 が途絶えた。
物資や商品は、メッカやメディナといったアラビア 半島西部を経由するようになり、それらの都市は 貿易を独占して大きな利益をあげるようになった。
メッカに生まれたムハンマド(マホメッド)は610年 ごろに、唯一神であるアッラーの言葉を授けられた 預言者であるとして、「唯一の神であるアッラーを 信じるものは、神の前に平等である」というイスラム 教を唱えた。
ムハンマドは富の独占と商業による貧富の差を
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西アジアと主な都市
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肯定するメッカの商人から迫害を受け、622年にメディナに移動して、イスラム教徒の共同体をたてた。630年に、ムハンマド はメッカを征服し、その後も勢力を広げ、アラビア半島を統一した。
イスラム教はアラビア語でコーランという経典にまとめられ、信仰だけではなく、政治や社会、文化面にわたって影響を与 えた。
ムハンマドの死後は、カリフとよばれる後継者たちがイスラム社会の領土を拡大し、661年にはダマスクスにウマイヤ朝が たてられた。
ウマイヤ朝は8世紀の初めには、インド西部からアフリカ北部、さらにはイベリア半島まで3大陸にまたがるイスラム帝国へ と発展していった。
アラブ人に特権を与えるウマイヤ朝の政策とコーランの「神の前に平等」という教えが合わず、ウマイヤ朝に反対する勢力 があらわれ、750年、革命によってアッバース朝がたてられた。
アッバース朝はバグダッドに首都をおき、アラブ人だけではなく、イスラム教徒であれば税を課さず、イスラム法とよばれる 法律にもとづいた官僚による中央集権体制をすすめた。
アッバース朝の建国によって、ウマイヤ朝は756年にイベリア半島にのがれ、ゴルトバを首都とする後ウマイヤ朝をたてた。
アッバース朝はハールーン=アラッシードの時代に栄えたが、その後は縮小していき、909年にエジプトのカイロを首都と するファーティマ朝がたち、3つの勢力に分裂していった。
イスラム世界は9世紀から13世紀にかけて、多くの王朝が興亡していき、その過程を通じて西アジアだけではなく、アフリカ やインド、東南アジアにまで影響を与えていった。
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2.イスラム文明の発展と文化 |
イスラム文明は、イスラム帝国が古くからの先進文明が栄えた地域に建設されたことから、それらの文化とアラビア語が 融合されて形成、発展した文明である。
9世紀の初めにギリシア語の文献がアラビア語に翻訳されるようになると、医学、天文学、幾何学などを発展させ、また、 インドの数学からゼロの概念を取り入れ、アラビア数字を使うと、ヨーロッパに伝わり、現在の数字となった。
文学では、16世紀ごろにインド・イラン・アラビア・ギリシアなどの説話をカイロで集大成され、シンドバットの冒険で知られ る「千一夜物語(アラビアン=ナイト)」は代表的な作品である。
建築では、振興・学問・教育の場であるモスクとよばれる建物にはミナレット(光塔)とよばれるドームと高い尖塔が特徴 である。
美術・工芸では、細密画や唐草文や幾何学を図案化したアラベスクとよばれる装飾が発達した。 | |
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確認問題 |
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