解答: |
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@後醍醐天皇 A悪党 B楠木正成 C足利尊氏 D新田義貞 E建武 F吉野 G南朝 H北朝 I南北朝 J管領 K守護大名 L鎌倉府 M明 N倭寇 O勘合 P足利義政 Q応仁の乱 R戦国 S下克上
@原料作物 A西陣 B瀬戸 C六斎市 D明銭 E土倉 F酒屋 G問屋 H馬借 I町衆 J惣 K惣村 L寄合 M土一揆 N土民 O正長の土一揆 P徳政一揆 Q山城国一揆 R国一揆 S加賀の一向一揆
@禅宗 A金閣寺 B北山 C書院造 D銀閣寺 E東山 F北畠親房 G太平記 H連歌 I宗祇 Jお伽草子 K水墨画 L雪舟 M観阿弥・世阿弥 N能楽 O風姿花伝 P狂言 Q侘び茶 R華道 S枯山水
(1)足利義政 応仁の乱 (2)世阿弥 (3)惣 (4)徳政 正長の土一揆 (5)後醍醐天皇 (6)E→B→D→A→C |
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解説: |
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(1)警戒心が強いので人家の近くにはいないひばりが都を飛んでいる。そこまで朽ち果て た都の姿に涙をするようなことを誰が知るのであろうか。歌意はこんなイメージである。 応仁の乱によって焼け野原になった京都を嘆き悲しむ歌である。応仁の乱で京都が 焼け野原になっていくのは1467年〜1477年くらいまでである。
(2)能楽から観阿弥・世阿弥の父子が出てくる。「風姿花伝」は1400年〜1418年に書かれた。
(3)「近江国(滋賀県)の日吉神社の惣掟」とよばれるもので、1489年につくられた。
(4)正長の土一揆で1428年の出来事である。
(5)建武の新政による混乱を落書きにかかれたもの。
(6)すぐに起きた事件がわかるようなものもあるが、「風姿花伝」や「日吉神社の惣掟」は 成立年がわかりづらい。室町時代の流れを考えればだいたいのことがつかめる。 室町時代は、鎌倉幕府の不満により、公家の後醍醐天皇が貴族中心の政治を目標に 滅亡させたが、時代は武士中心であり、また農業をはじめとする産業が発展しつつ、 文化も鎌倉文化で生まれたものや定着したものを芸術にまで高める動きもあり、能楽が 芸術として大成されるのも自然の流れであろう。 また、農業の生産性の向上や商業、都市の発展にともない、庶民の自立も成長する ことになり、デモのような一揆が起こることにもなる。応仁の乱は地域住民にとって、行政 不安を引き起こすことになり、自分たちの生活は自分たちで決めていくことは必至である。 | |