敗戦によって、日本は連合国の占領下におかれた。
1945年、東京にアメリカのマッカーサーを最高司令官とする連合国軍総司令部(GHQ)がおかれ、日本の政治・経済・教育 にわたる民主化が進められた。
戦前や戦時中に利益を独占していた三井、三菱、住友、安田などの財閥に対して、持株を公売させて、指定財閥にはその 家族を財界から追放するなど、財閥の解体が行われた。また、1947年には、企業の独占を防ぐことと、自由競争を確保する ために独占禁止法をつくり、公正取引委員会を監視にあたらせた。
女性にも参政権を認めさせ、満20歳以上の男女がすべて選挙権をもつようにして、政治に参加できるようにさせた。これに より、1946年の戦後最初の総選挙では、39人の女性議員が当選した。
労働者に対しては、労働者の団体権や団体交渉権を保障する労働組合法をつくり、さらに1946年に労働争議の調整方法や 争議行為を規定した労働関係調整法を制定し、、1947年には労働条件の最低基準を規定する労働基準法を制定し、労働者 の権利を守らせた。これら3つの法律を労働三法という。
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1946年、自作農家増加を目的に、国は農村に住んでいない不在地主や、 農村に住んでいる在村地主であっても、基準を超える小作地を買い上げ、 実際に耕作している小作人に、有利な条件で売り渡す農地改革を行わせ、 寄生地主制と高率な小作料のもとから農民を解放させた。
この農地改革は1946年から1950年まで2回にわたって実施し、全小作 農地の約80%が解放され、自作農が増加した。
また、小作料も物納から金納を定めた。
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自作農の増加
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農地改革が行われた同じ年の1946年11月3日、日本国憲法が公布され、翌年の1947年5月3日に施行された。
主権は国民とする国民主権と、人権はおかすことのできない永久の権利を保障する基本的人権の尊重、戦争を放棄し、 戦力と交戦権をもたない平和主義を3大原則とした。
大日本帝国憲法のもとでは、「神聖で不可侵」であり、「神」とされてきた天皇は、日本国憲法のもとでは、政治の権能を もたず、日本国と日本国民統合の象徴となった。 |
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大日本帝国憲法と日本国憲法 |
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大日本帝国憲法 |
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日本国憲法 |
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1889年発布 |
成立 |
1946年11月3日公布、1947年5月3日施行 |
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天皇(天皇主権) |
主権 |
国民(国民主権) |
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法律で制限 |
基本的人権 |
おかすことのできない永久の権利 |
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兵役の義務 天皇のもとに設置 |
軍隊 |
平和主義 戦力はもたず、戦争は放棄 |
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神聖で不可侵 |
天皇 |
日本国と日本国民統合の象徴 |
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貴族院と衆議院 |
国会 |
参議院と衆議院 |
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1947年には、教育基本法が制定され、義務教育や教育の機会均等、男女共学などが規定された。それまで教育の柱と なってきた教育勅語は、1948年に国会で失効が決議された。 また学校教育法を1947年に制定し、六・三・三・四の単線型学校系列を規定し、義務教育を小学校と中学校の9年とした。
実際には、新しい教科書の作成が間に合わず、今までの教科書の軍国主義的な記述を墨でぬりつぶした墨ぬり教科書 とよばれるものを使用し、空襲で校舎が焼失し、焼け跡の空の下で授業をする青空教室がしばらく続いた。 |