仏教を保護した聖武天皇と遣唐使がもたらした唐の文物などによる国際色豊かな文化が起こ り、天平文化という。
日本は唐の文化を取り入れるために、630年〜894年までの間に十数回にわたって遣唐使を 送った。当時では、海難などの危険が多く、命がけの航海であった。
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は留学生として唐に渡ったが、帰ることができず、唐の朝廷で 一生を送った。また、唐の高僧であった鑑真は、日本に渡る途中で盲目となりながらも、来日し て、平城京に唐招提寺を建てた。
建築では、世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿や、聖武天皇の遺品などが収められ ている校倉造の東大寺正倉院があり、正倉院の宝物の中にはギリシャ・インド・ペルシアから伝 わったものもある。
書物の編集にも力を入れ、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記していたものを太安万侶(おおの やすまろ)が書き上げた、神代から推古天皇までの神話や物語で書かれた歴史書である古事記 や、舎人親王(とねりしんのう)らが中心となって神代から持統天皇までの天皇家の歴史を年代 順にまとめた歴史書である日本書紀がある。 |
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