■ Hello School 古典 文法 修辞法 ■ | |||||
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1.枕詞 ある言葉を導くために、その直前に置かれ、句調を整えたり、情緒的な 意味を添えたりする語。枕詞の意味は失われているものが多く、通常は 五音で、訳さない。 あらたまの年のをはりになるごとに雪も我が身もふりまさりつつ(古今集・冬) (毎年年の終わりになると雪が降り、私の体も古びていく。) |
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2.掛詞 一つの同じ音で、二つ以上の意味を表す技法。 大江山いくの[生野][行く]の道の遠ければまだふみ[踏み][文]もみず天橋立 (金葉和歌集・雑上) (大江山を越え、生野を通って行く道が遠いので、 まだ天橋立は踏んでもいないし、(母からの)文も見ていません。) |
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3.序詞 七音以上で、枕詞と同様、ある言葉を導くためにの語で、背景を具体的に イメージさせたり、連想させたりする効果を与える。訳す必要がある。 (1)意味的な関連なもの[訳すときは「〜のように」] みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに(古今集・恋) (みちのくのしのぶもぢずりの乱れ模様のように、誰のために私の心が乱れるのでしょう。) (2)音的なもの[訳すときは「〜ではないが」] 住江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ(古今集・恋) (住江の岸に寄る波ではないが、夜までも夢の中の通い路で、 あの人は人目を避けるのだろうか。) (3)掛詞の序詞[訳すときは「〜という」] 立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む(古今集・離別) (あなたと別れ、因幡の国へ行ったとしても、その因幡の山の峰に生えているという 松のように、(あなたが私を)待つと聞いたのなら、すぐに帰りましょう。) |
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4.縁語 和歌の中のある語と密接な関係のある語で、和歌の主題と直接関係は ないが、その和歌に情緒や面白みを添える。 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ(新勅撰集・恋) (来ない人を待ち、松帆の浦の夕なぎに焼く塩のように、私のみも恋焦がれている。) |
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5.句切れ 結句以外の句で終止し、二句切れ・四句切れを五七調といい、また 初句切れ・三句切れを七五調という。 句末が終止形・命令形・係り結び・終助詞であれば句切れとなる。 句切れが二ヶ所あるものや句切れのないものもあり、句切れなしが 和歌では最も多い。 (1)五七調(万葉集に多い) 春過ぎて夏来にけらし/白妙の衣ほすてふ天の香具山(万葉集・一) (春が過ぎて夏が来たようだ。 夏になると白い衣をほすという天の香具山に白い衣が見えるなぁ。) わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと/人にはつげよあまのつり舟 (古今集・羇旅) (広い海を、多くの島を目指して配所の隠岐に船出したと あの人に伝えてください。海人のつり舟よ。) (2)七五調(古今集以降に多い) 契りきな/かたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは(後拾遺集・恋) (あなたと私は約束をしましたよね。互いに涙でぬれた袖をしぼりながら、 末の松山を浪が越すことがないように2人の愛もいつまでも変わらないと。) 我が庵は都のたつみしかぞすむ/世を宇治山と人はいふなり (古今集・雑下) (私の庵は都の東南にあり閑静に住んでいるが、 世を住みづらく思ってこの宇治山に逃れてくるのだと世間の人は言っているようだ) (3)句切れが二ヶ所 もろともにあはれと思へ/山桜 /花よりほかに知る人もなし (金葉集・雑上) (お互いになつかしく思い合おう、山桜よ。 桜花より他に私の心をわかってくれる人もいないことだ。) (4)句切れなし 春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ (千載集・雑上) (はかない春の夜の夢のような浮ついた腕枕ために、 甲斐もなく浮き名が立つのは残念なことだ。) |
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6.体言止め 和歌の末尾が体言で終わるもの。新古今集に多い。 村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕暮れ(新古今集・秋下) (降りすぎた村雨の雫もまだ乾かない真木の葉に、 白い霧が立ち上ってくる秋の夕暮れよ。) |
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7.折句 和歌の各句のかな五文字の言葉を折り込んだ技法。 「かきつばたといふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」といひければ、 よめる、 から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ (伊勢物語・九段) ((普段から着慣れた)唐衣のように、慣れ親しんできた妻が都にいるので はるばる遠くにやってきたこの旅が悲しく思われる。) |
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