※はじめに 詩というものは、読み方は自由であり、ここで解説する内容はあくまでも作者・編者の主観によるもので あることを予め記しておきます。
この詩に登場するタンポポは「カンサイタンポポ」という在来種のタンポポです。一般的には、タンポポと 言えば、かわいらしい、暖かみのある、ふわふわとのんきに風に乗って希望にむかって旅立っていく・・・ というイメージがあるかも知れません。
しかしこの詩は、人生の旅立ちをタンポポという植物の綿毛に重ね合わせたようなロマンチックな夢のある 作品ではありません。
きっと誰もがタンポポという植物のことを知れば知るほど、そのイメージが人間の勝手な思いこみである ことに気付くことでしょう。思い通りに飛ぶことなどない種子。日当たりがよくなければ芽吹かない、芽吹い ても背の高い植物があれば成長することもない、弱く、小さな花なのです。
過酷で、不自由で、希望のない生き方。でもそれは神様などと言うあいまいなものが与えた宿命や運命で はなく「タンポポ」という存在そのものの行為なのです。
何世代も、送り出しては死に、育たずに死ぬ。そうして生き残ったタンポポだけに許される「生き様」なのです。
彼らは命を粗末にしているわけではありません。むしろ「生きろ!」と叫び声を上げているようです。 自分の生のためにいったい幾つの死があったのか。自分はその死体の上で生きているのですから。
満たされた生き方だけが正義のようにもてはやされる時代ですが、私はあの苦しげなタンポポの生き様の ように、歯を食いしばって「生き様」を追いかけてみたい。
そう思うのです。
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